夏風邪
2001年8月、私は疲労が重なったせいか風邪をひいてしまいました。
私は会社を終わって夜遅くまでパソコンと英語の専門学校に通っていました。
会社ではほとんど有給休暇をとっていませんでした。
すぐ直るかと思ったのですがそうはいきませんでした。
咳がなかなか止まらないのです。 早速、家の近くの医者に行って診断してもらいました。
医者は老医師です。
医者:どうされました?
私:風邪をひいてしまって、咳が止まらないのです。
少し、熱もあります。
去年、風邪をひいたとき先生に診てもらいまして、直ったので、又伺いました。
医者:そうですか? では、診てみましょう。
肺炎でも結核の恐れもなさそうですね。
医者は聴診器を私の胸にあてて、そう言いました。
医者:では、去年と同じ抗生物質をお出ししましょう。
私は先生からいただいた薬を飲んだのですが、咳はいっこうに止まりません。
そこで、今度は会社の近くの医者に診てもらいました。
今度はバリバリの若手の医者です。
医者:どうされました?
私:風邪をひいてしまったのですが。
医者:風邪をひいてどのくらいたつの?
私:1週間くらいです。
医者:その間何か薬でも飲んだの?
私:はい
医者:どんな薬?
私:薬屋の売薬です。
私は医者の薬と言いにくかったのでそう言いました。
医者:そう。では診てみましょう。
今年は新しいウィルスが見つかったので去年の抗生物質では効かないことがある
よ。
私:そうですか。
私は内心、今度は新しい抗生物質で直るかと思いました。
薬をいただいて飲んだのですが、4日たってもいっこうに直りません。
咳が止まらないだけでなく、今度は40度近くの熱が出ました。
それで結局、会社を休んだのでした。
仕方がないので休んだ日に今度は近くの救急用の大病院に行ったのでした。
長い時間待たされた上で、やっと診てもらえました。
今度は中年の経験豊富そうな医者でした。
医者:どうしました?
私:風邪をひいて町の医者の薬を飲んだのですが、直らないのです。
もう2週間くらいになります。
医者:薬の処方箋をお持ちですか?
私:全部飲んでしまったので、捨ててしまいました。
医者:では診てみましょう。
医者は私の胸に聴診器をあてて診察しました。
私はドキドキしました。
私は結核や、肺炎になっていたらどうしようと心配でした。
医者:レントゲンをとらなくても大丈夫でしょう。
町の医者の薬とあまり違わないと思いますが、夏風邪は直りが遅いから1週間分
の薬を差し上げましょう。
私は処方箋をもらって指定の薬局に薬をもらいに行きました。
薬局の人はかなりの老婦人でした。
薬局の人:抗生物質は入っていないわね。
こんなこと言うのもなんだけど、いま風邪が流行っているのよね。
休養して、水をよく飲むことね。
老婦人はパソコンを使って私にカラーの処方箋レポートをくれました。それは医者の処方箋をわかりやすくパソコンで翻訳し、説明したものでした。
私は老婦人がいとも簡単にパソコンを操っているのを見て本当に感心してしまいました。
ところが、それからとんでもないことが起きたのでした。
私の母は93歳ですが、私の風邪が直らないのをとても心配していました。
私が夜中に喘息のように咳が止まらないのを気にして、母も寝不足になり、とうとう
母も風邪を引いてしまっていたのでした。
そして、母も咳が出る始末でした。 食欲も減退し、体の具合が少しずつ悪くなっていったのでした。
今度は私の方が母の容態を心配し、栄養ドリンクやカロリーメイトなどの栄養食品を買ってきて与えたのでした。
母は定期的に行っている国立病院で昨日、診てもらったばかりでした。
ところが、今日、私が病院から帰ったころから、だんだん様子が変になってきたのでした。
食事もあまりせずに、栄養食品も受け付けない状態になってしまいました。
咳は相変わらずに続いていて体力を消耗しています。
夜になると熱が出て、ついには食事もあまり取っていないのに、吐いてしまいました。
大変だ!
このままでは飲まず、食わずで体力的にもたずに、ついには死んでしまう。
入院して点滴をうってもらわなければならない。 私はそう思いました。
母は入院を望みました。
そこで国立病院に電話をかけたのでした。
当直の人:どうしました?
私:私の母が風邪で熱が出て、吐いてしまったのです。その上、飲まず、食わずの
状態で、このままではどうしようもないので入院させていただきたいのですが。
昨日、病院で先生に診てもらったばかりなのですが。
当直の人:そうですか。 それでは当直の先生につなぎますのですので、少しお待ち
下さい。
当直の先生に同じように電話で訴えました。 母の診察カード番号を言うと、先生は患者のカルテを見た上で、言いました。
先生:入院かどうかは診た上でないと、判断が出来ません。 すぐに車で来られますか?
私:はい。 すぐに参ります。
母と妻と私はすぐに入院の準備をしました。
私もひどい風邪の状態なので、近くに住む弟に連絡し弟に病院に付いていってもらうことにしました。
弟は驚いて、すぐにやってきました。
母のための車椅子を用意し、母、弟と妻はタクシーで病院に駆けつけたのでした。
私は病院に行ったらどんな様子か電話するように弟に言っておきました。
夜の8時ごろに入院の準備を始め、結局9時ごろに病院に駆けつけたのでした。
ところが、なかなか電話がかかってきません。 どうしたのだろう?
私はだんだん心配になってきました。
何と夜の11時頃になって、やっと電話がかかってきたのでした。
私:どうしたの? こんなに遅くなって。
弟:レントゲンを撮ったり、診察したりして、検査で時間がかかったんだよ。
結局、入院の許可が出たよ。
良かったと私は思いました。
私:それで病名は何なの?
弟:急性気管支炎とのことだよ。
咳が相変わらず、ひどいけど今、点滴をやってるよ。
これからそちらに帰るから。
私:遅くまでどうもご苦労様。
夜の12時近くに弟と妻は家に戻ってきました。
私:お疲れ様。 どうも有り難う。
弟:これから毎日お母さんの所には自分が見舞いに行くから、お兄さんは病院に
行かなくていいよ。
それよりも休養して、早く風邪を直してよ。
それから病院のベッドが足りなくて保険のきかない特別室しかありません
とのことで、どうされますかと言われたけど、お願いしたから。
1日2万円とのことだよ。 もし普通のベッドが空いたら移してもらうようにも
言っておいたけど、どうなるかはわからないよ。
私:わかった。
僕も見舞いに行きたいけど、そうもいかないな。
世話をかけるけどよろしく頼むよ。 本当にどうも有り難う。
その後、弟は毎日、病院に見舞いに行きました。
数日後、母は一人部屋の特別室から二人部屋に移りました。
この事で、後に母が同室の病人を救うことにつながったのでした。
その間、私も風邪を直すべく毎日早く寝て、休日には酸素の補給のため近くの公園で森林浴をしました。 咳が出るということは酸素不足になると思ったからでした。
一方、母も病院では酸素吸入器で酸素を補給していたとのことでした。
水だけではあまり飲めないので、アルカリイオン水をガブガブと飲んだのでした。
栄養を摂るためにはもはや多少のコレステロール、血圧のことなど気にしていられません。 私は毎日、卵と肉を食べ牛乳を飲み始めました。 このためダイエットどころか太ってしまいました。
しかし、風邪はやっと直ってきたのでした。
ついに母の退院の日がやってきました。
入院から10日かかりました。
母はストレスも無く、とても元気でした。
母:みんなのお陰で無事生還できたね。
どうも有り難う。
私:お母さんの元気な姿を見てととても安心したよ。
大成功だね。
母:でも同じ日に退院する予定だった同室の人が退院できなかったんだよ。
私:どうして?
母:退院の2日前に異常事態が起こったんだよ。
私が夜寝ていると、隣の病人が急に苦しみだしたんだよ。
声をかけてもだめなんだよ。
それで急いで、暗い中を救急用のスイッチを探して押したんだよ。
時間は午前2時でした。
看護婦:どうされました?
母:私じゃないんですよ。
隣の患者さんが大変なんですよ。
看護婦は事態の異常に気づき、すぐに医師と仲間の看護婦を呼びました。
そして、すぐに応急処置をはかったのでした。
隣の人は79歳のおばあさんでした。 脳溢血の状態でした。
もし、知らせが遅れれば大変なことになっていました。
後から聞いた話ですが、その時本人の意識は全く無かったとのことでした。
93歳の母のお陰でその患者さんは一命を取り留めたのでした。
もし予定通り、退院していたら大変なことになるところでもありました。
それまで隣の患者とは疎遠な感じでしたが、その後母と親しくなりました。
隣の患者:こういうことがあるのよね。
もし、一人部屋だったら、今頃どうなっていたか分からないわよね。
本当にどうも有り難うございました。
隣の患者と親類の人は母に最敬礼をし、感謝したとのことでした。
夏休みには母とは箱根に行く予定でしたし、妻とは東北に旅行する予定でしたが、風邪のためすべて予約をキャンセルしました。
残念なことでしたが、それよりも長い夏風邪がやっと直ったことは何よりの幸福でした。
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