採用試験
学校を卒業して、初めての就職先は誰しもよく覚えているし、多くの人がその就職先でほとんどの人生をともにしますが、その採用試験で想像もできなかった驚くことが私に起こったのです。
私が学校を卒業する年は不況の最中でした。 前年が好況から不況に突入した最初の年だったのですが、前前年の就職状況から判断して、甘く見ていたせいか、前年の先輩たちの就職状況は散々なものでした。 かなりの人が、一流企業というか第一志望の上場会社に入れませんでした。
これを見た私たち同級生は就職先の選定にあったては慎重にならざるを得ませんでした。 会社訪問をして、採用される可能性をさぐったものでした。 リクルート情報を見て、難易度、採用予定人数、先輩たちの入社状況などを参考にしました。
当時、大企業の採用試験日はほとんど同一日にかたよっていました。
そこで、最終的に、私は金融機関一つとメーカー一つに絞り込みました。
書類審査は両方とも受かりました。 次に筆記試験と面接試験がありました。
面接試験は人事部長はもちろんのこと、役員による面接でとても緊張しました。
入社の動機、目的等のほかに専門科目や一般教養科目の質問も出されました。
当社が第一希望ですか?
根抵当とはどういうものか説明してください。
親鸞の悪人正機説の内容を説明してください。
何とか、面接試験を終わってから、採用通知が来るにはそんなに日はかかりませんでした。
まず、金融機関から電話がかかってきました。
人事担当者。 おめでとうございます。 当方で採用させていただくことになりまし
た。 今後の入社手続きにつきましては、追って文書でご案内させて
いただきます。
私。 有り難うございます。 今後ともよろしく、お願い申し上げます。
私は金融機関が第一希望だったので、即座にそう答えました。
引き続いて、メーカーからは次の電報が届きました。
「ゴキタイニ ソウ。」
「ご期待に添う」と言うことは、採用通知だけど、第一希望の金融機関が受かったので、第二希望のメーカーの方は断らなければいけないな。
せっかく、採用してもらったのに、電話で断るのは失礼かなと私は思いました。
そこで、翌日、メーカーの本社に出向きました。 本社は川崎にあり、電車とバスを乗り継いでいきました。 会社訪問や、採用試験の時は採用されたい気持ちで一心だったのに、今回は採用されたのに断りに行くのでとても複雑な気持ちでした。
受け付けの女性に言いました。
私。 採用試験の件で人事担当の方にお会いしたいのですが。
受付の女性。 少々、お待ち下さい。
すぐに人事担当者が現れました。
人事担当者 どんな、ご用件でしょうか?
私。 採用通知を受け取ったのですが、第一志望の会社に受かりました
ので、誠に申し訳ありませんが、お断りを申し上げに参りました。
人事担当者。 そうですか。 それは残念ですね。 お名前は何とおっしゃいますか?
名前を聞くと人事担当者は少々、お待ち下さいといって、オフィスに引き下がりました。 しかし、なかなか戻って来ませんでした。
「どうしたのだろう」と、私は思いました。
やっと、人事担当者が戻って来ましたが、その表情は何といっていいか、戸惑ったような様子でした。
人事担当者。 誠に言いにくいことなのですが、実は採用通知をさしあげていな
いのです。
私。 何ですって。
私は本当に驚いてしまいました。 しかし、これ以上、問答しても始まりません。
もともと、お断りに来たわけですから、双方とも実際のところ、問題は無いわけなので、長居は無用と私は草々に引き上げました。、
しかし、実は不採用なのに、採用を断りに行くというバツの悪さに、帰りもまた、私は複雑な気持ちでした。
家に帰って、しばらくすると呼び鈴が鳴りました。
「電報局の者ですが」と言う声がありました。
ドアを開けると二人の人が立っていました。
電報局の人。 実は大変申し訳なく、お詫びにあがりました。
私。 どういうことでしょうか?
立ち話もなんですから、どうぞ、お上がり下さい。
私は電報局の人を応接間にお通ししました。
電報局の人 当方の手違いで、採用の電文を間違えて、しまったのです。
このたびは、大変ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありません。
深く、お詫び申し上げます。
私の方は、さっきのショックが収まっていましたので、心は平静になっていました。
私。 そうですか。 私の方は、第一志望の会社が受かっていますので、
大丈夫です。 ところで、本当の電文内容はどうだったんですか?
電報局の人 依頼された電文は「ゴキタイニ ソエズ」だったのです。
私。 「ご期待に添えず 」ですか。
よく考えてみれば、「ご期待に添う」と言う採用通知も、変だと
いえば、変ですよね。 しかし、文字通り、読めば、不採用とは
読めませんよね。
電報局の人 誠に、申し訳ございません。 お詫びにお菓子をお持ちしました
ので、どうぞ、お受け取り下さいませ。
電報局の人、二人は再度、ふかぶかと頭を下げました。
もし、万一、気が変わり、金融機関の方を先に断っていたら、ほとんどの企業の採用試験はすでに終わっていたのですから、大変な事になっていたと思うと今でも、ゾオーとする気がします。
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