母の立ちくらみ
2002年1月
平日の5時近くにはなっていたのですが、仕事中に弟から電話がありました。
弟:お母さんが家で立ちくらみで倒れて大変なんだよ。 だから、会社が終わったら、パソコンスクールに行かずにすぐ帰ってきてほしいんだよ。
私:わかった。 すぐに行くよ。
私は一体どうなったんだろうと思ったのでした。 今朝、出かける時は母はいつもどおりだったのですから。
家に帰ると母はベッドで寝たきりになっていました。 起きるとふらっとして頭が重くなり、立っていられないと言うのでした。
母は夜、熱があると言いました。 私が体温計で計ってみると36度ほどで平熱です。 母の頭に血が上っていて、一種の脳溢血の状態になっていると私は思いました。
私:お母さん。 熱はないけど、頭に血が上っていると思うよ。 とにかく、こういう 時には絶対安静が必要だよ。 僕が今、氷枕をつくってあげるよ。
私は冷蔵庫の氷で氷枕をつくり、寝ている母の頭の下に置いたのでした。
また寒くなってきたので、そのせいかとも思い、早速押し入れから電気毛布を取り出して母のベッドに敷いたのでした。
弟は母が自力でトイレに行けないので、そのための尿瓶を近くの薬局で買ってきてくれていました。
朝の4時ごろになって母が言いました。
母:悪いけど用を済ませたので、尿瓶に入っているのをトイレに捨ててきてくれないか。
私はまだ寝ていたかったのですが、すぐに起きて言いました。
私:はい。 分かりました。
私はねむい目をこすりながら尿瓶をトイレに持っていって、中のものを捨てて、その後、においが残らないように浴室でその尿瓶を洗ったのでした。
母:寝ているところをすまないね。
母は申し訳なさそうに言いました。
私:そんなことないよ。 喜んでさせていただきますよ。
母はこれを聞いて急に笑い出してしまいました。
母:どこの世界に嫌なことを喜んでする人がいるもんかね。
お前はほんとにおかしな事を言うね。
母の笑い声はしばらくたっても止まりませんでした。
私にとっては母が倒れたと知って、過去の母のつらい出来事が走馬灯のように私の脳裏によみがえってくるのでした。
母は父が脳溢血で倒れて約10年もの間、寝たきりの父を看病しながら、生命保険の外交をして私と弟を大学まで仕込んでくれたのでした。
その苦労は並大抵のことではありませんでした。
母と弟と私は3人で交替しながら、父の便や尿の始末を10年近くやってきたのでした。
母は父が元医者ということもあって、渋谷区の医師会の団体保険の担当を任されました。 最初の頃はお医者さんの奥さんが(父が倒れたため)やむなく保険の外交をしたということで同情で何件かの契約を取れたのでした。
しかし、その後が大変でした。 営業の仕事は実績で評価され、報酬もその歩合で決まるのですから。
いくら努力しても、むくわれない月があったのでした。 母は雨の日も風の日も頑張りました。 医者を訪問するといっても、表玄関ではなく裏の勝手口からの訪問です。
内気なお嬢さん育ちの母にとっては本当に試練の日々でした。
何度も門前払いにあっていました。 また、『考えておくよ』と言われて、結局むだになったことも度々でした。
ある雪が降っている日のことでした。 このような日は寒いので医院には患者さんもいませんでした。 あるお医者さんが感心して会ってくれました。
医者:こんな寒い日に大変だね。 さあ、上がりなさい。
母はその言葉に甘えて上がったのでした。
医者とその奥様は母と父に関する昔話をしたりして、歓談したのでした。
そして、最後に医者はこう言ったのでした。
医者:あなたは本当に偉い。 こんな寒い雪の日までよく頑張っている。 感動した。
そして、その医者は大きな保険契約をしてくれたのでした。 その医者とはそれまで、忙しくてとても会えずに、契約など決して取れない状態だったのです。
母はそれを聞いて涙をこぼして、その医者の温情に感謝したのでした。
私は母が倒れてから、毎朝会社に行く途中にある目黒の大鳥神社にお参りすることにしたのでした。
私はお賽銭を上げて、次のように祈っています。
私の祈り:神様。 有り難うございます。
どうか母がいつまでも健康で幸せに長生きが出来ますように。
有り難うございます。 有り難うございます。
私にとって、『神仏が本当にいるかいないか』と言うような神学論争はどうでもよいことなのです。 なぜなら、『私の祈り』は『私の願い』なのですから。
母はお蔭様でその後、持ち直し、以前のようではないものの、自力でトイレに行けるようになったのでした。
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