アメリカでの家庭訪問
2002年1月
私は1982年、アメリカのペンシルバニア州、ピッツバーグにあるカーネギー・メロン大学の経営大学院でシステムの短期講習を受ける機会に恵まれました。
そこでの10日間程度の学生生活は私にとっては夢のような生活でした。
ホテルから大学までの間には博物館やフォスターの像などがありました。
大学のキャンパスには芝生が張り詰められており、リスが木に上ったりして遊んでいてのどかな環境でした。
大学院での教授の授業は当然英語の授業なのですが、同時通訳がついていましたので助かりました。
当時の日本ではインターネットはまだ試行錯誤の状態でした。 しかし、既にアメリカの大学では教授と学生の間でレポートの提出をインターネットで行うことが当たり前の状態になっており、驚いてしまいました。
学校が終わってから、アメリカでの家庭訪問のメニューが用意されていました。
私はそのために事前に日本で日本らしいお土産を用意しておいたのでした。
デパートで扇子、こけし、日本の美しい風景写真集などを買っておいたのでした。
家庭訪問は2回にわたって行われました。
1回目はイギリス系アメリカ人の家庭でした。
午後の6時ごろに主人が自動車でホテルまで迎えに来てくれました。
私達は2人で訪問することのなっていました。
6時半頃に郊外の一戸建ての家に着きましたが、主婦とその子供達が迎えに出てくれました。
家の中の応接間や食堂は中学の英語のテキストブックで見たような感じでした。
主婦はとても美人でチャーミングな人でした。 アメリカ英語のような省略化された発音でなく、正統派のイギリス英語のような発音で話されました。
私達は充分英語でコミュニケーションがとれたわけでもありませんでしたが、おいしい食事をご馳走になりながら歓談したのでした。
その中で大学に行く途中にあったフォスターの像や彼の歌について話したのですが、
フォスターについてはあまり知らなかったようでした。
また、日本からのお土産もとても喜んでくれました。
私達は主人にまた自動車で送ってもらい、ホテルに9時頃に着いたのでした。
2回目の家庭訪問は1回目とは様子が変わっていました。
この家庭訪問は相手のボランティアでなりたっており、民間における日米親善的な役割をもったものでした。
6時を過ぎてかなりたっても、相手の人が現れません。 他のグループのメンバーは既に全員、出迎えをうけて、残されたのは私達、男二人になってしまいました。
『どうしたのだろう?。』 私達二人は 多少不安になってきました。
7時を過ぎて、やっと相手の人が現れました。 相手の人は中年の女性でした。
『遅れて申し訳ありません。』 と言って、早速自動車に乗せてくれたのでした。
相手の人はドイツ系のアメリカ人でした。 すぐに相手の家に着くと思ったのですが、
そうではありませんでした。 ホテルから車で1時間ぐらいかかる所にやっと着いたのでした。 既に夜もふけて、真っ暗な中を彼女のアパートに着いたのでした。
彼女はそこに独りで住んでいる独身女性でした。
『これで家庭訪問といえるのだろうか?』 私はすこしいぶかりましたが、『日米親善の一環なのだから、特段の問題はないし』と思いました。
私達二人は英語があまり得意でありませんでしたが、その分相手の女性が気を使ってくれました。 相手の女性は食事の世話や私達との話とかで大変でした。
女性:ピッツバーグの何処を見学されたのですか?。
私:観光に来たわけでもないので、あまり見た所はありません。
女性:そうですか。 それではお食事が終わりましたら、そちらのホテルから近い丘の上にご案内いたしましょうか?
そこからのピッツバーグの夜景はとても素晴らしいんですよ。
私達:そうですか。 それは有り難いですね。
私達はその時、気楽に答えたのでした。
ここでの食事はとてもおいしく、又お土産にも喜んでもらえたのでした。
時間は午後10時近くになっていました。
私達:もう遅いのでおいとましなくては。
女性:そうですか。 それではお送りいたしましょう。
私達はさっき来た道を又車で1時間ぐらいかけて帰っていったのでした。
私達のホテルに近づいた頃、彼女は言いました。
彼女:この上の方がさっき言った見晴らしの良い丘です。
既に時刻は11時近くなっています。
私:もう遅いのでこれで結構です。
彼女:お疲れですか?
私達:そうでもないのですが、遅いし、申し訳ないので。
彼女:それなら、もう少しですからご案内しましょう。
私達はその後、丘の上に着いたのでした。 丘の上には素敵なレストランがありました。
私達はその前の場所から夜景を見たのでした。 それは香港や函館の夜景のように素晴らしいものでした。 暗い中に、家々のライトが星のように美しかったのでした。彼女はそこから見える野球場やアリーナなどを説明してくれました。
その後、私達がホテルに帰ったのは午後12時近くになってしまいました。
彼女はその後自宅に帰るのに更に1時間かかるのでした。
私達は彼女にお礼を言うとともに、とても本当に申し訳ない気持ちになったのでした。
翌朝、私達の帰宅が12時近くになったことと、相手が独身の女性だったことで、インストラクターに心配させるやら、他のグループからとやかく言われてしまいました。 私達は何のやましい所がないことを弁明するのに必死でした。
私は昨夜『疲れたので申し訳ありません。』と言って、彼女に夜景を見ることをお断りすべきだったと、後悔したのでした。
本当に彼女には結果として夜遅くまで付合わせてしまった。 後悔と感謝とが一緒になって私の気持ちは複雑でした。
しかし、印象が強かったせいか、今でも『ピッツバーグの丘からの素晴らしい夜景』を鮮やかに思い出すことが出来るのです。
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