お見舞い
2003年10月
2003年8月、日曜の午後に友人のお見舞いに行きました。
インターネットのEメールからのお知らせで、「同期の容態に変化が見られるので、見舞える人は見舞いに行って下さい」とのことでした。
私は早速、一人で、京王線の橋本駅から郊外の病院に駆けつけたのでした。
病院に行く途中、タクシーの運転手に聞いたのでした。
私:病院はこの近くにあるのですか? どんな病院なのでしょうか?
運転手:バスだと時間帯によっては結構待ち時間がありますよ。
日曜は特にね。 病院はいわゆる老人病院ですよ。
私:どういう事ですか?
運転手:老人になって、長らく入院生活をしている人が多い病院ですよ。
この種の病院が似たような名前で、この近くにかなりあるのですよ。
私:そうですか。
病院に着き、中に入るとそれはきれいな病院でした。
看護婦さんに案内され、二階のロビーに行くとそこには円柱の形をした水槽の中に
美しい熱帯魚が泳いでいました。
私は案内された病室に行きました。
友人は4人部屋の窓際のベッドに横たわっていました。
彼の目は開いていましたが、私をとらえて、目が動く状態ではありませんでした。
私:私です。 分かりますか?
私は彼の耳元で言いました。
しかし、彼は反応したように見えませんでした。
彼は分かったのだろうか? 分かっていても、反応できないだけなのだろうか?
それとも、認識出来ないのだろうか?
私はとても悲しくなってきました。
彼の元気で活躍していた姿が私の脳裏によみがえったのでした。
私の頭の中の彼の元気な像と今、病人としてベッドに横たわっている彼とは二重写しとなって、
とても悲しくなったのでした。
どうして、彼のような明るい善人がこのようなことになってしまうのか?
世の中の不条理を見ているようで、とてもやり切れませんでした。
そうこうしている内に看護婦さんが入ってきました。
私:彼は意識があって、分かるのでしょうか?
看護婦:分かると思いますよ。
彼女は彼の耳元で大きな声で言いました。
看護婦:お友達が見えましたよ。 分かりますか?
分かったら、まばたきをして下さい。
しかし、彼はまばたき出来ませんでした。
看護婦さんが彼の目に手を近づけると、生理的に反射して、目を閉じるのですが、
意識の力ではコントロール出来ないようでした。
看護婦:最近は熱が上がって、なかなか下がらない状態なのですよ。
私:そうですか。
私は心の中で叫んだのでした。
「神仏がいるなら、奇跡があるのなら、友よ。再び元気になって下さい!
そして、楽しく語り合えるようになりますように!」
いかに健康であることが尊いか、有り難いかを改めて、思い知らされたのでした。
そして彼の姿を見て、私は彼が元気になるまで、十字架を担ぐキリストの様な心境に
なったのでした。
「友よ。 必ず、元気になって下さい。 私は心から回復を祈っています。」
その後、私は彼の病状が脳裏から離れませんでした。
私は自宅から近くの喫茶店に行く途中、近くの神社に寄り、彼の回復を心からお祈りすることを習慣としたのでした。
そして、明治神宮に行って、お祈りし、病気回復のためのお守りを買ったのでした。
それを次の見舞いの時に持っていくことにしたのでした。
2003年9月 同期の別の友人から電話がかかってきました。
彼:友人のお見舞いに行きたいのだけれど、場所が分からないので教えてくれますか?
私:そうですか? 私もその後、彼の様子がどうなっているのか、知りたいので一緒に行きましょう。
二日後の日曜日、駅で待ち合わせをした後で、二人で病院に行きました。
病室に入ると友人は寝ていました。 彼と私は友人に呼びかけました。
「分かりますか? 」
すると、彼の瞳がこちらに動いたではありませんか。
私は驚きました。 前回は瞳は動かず、じっと一点を見詰める状態だったからです。
しかし、瞳が動いたと言っても、私達二人を本当に認識できたか、はっきりはしません。
なぜなら、それ以外の反応はないのですから。
でも私は前回に比べ、友人の病状が良くなって、本当に安心したのでした。
二人はお見舞いの後、最寄り駅の近くの喫茶店でお茶を飲みながら、話をしました。
同期がこのように病気で倒れて、動けないのは本当につらいことだと話したのでした。
私は話をしていて、彼もまた本当に友を思いやる心のやさしい人だと、改めて実感したのでした。
「人のやさしさ」は何物にも変えられない宝だと思います。
0コメント